はじめに

人は一生恥をかいて生きていくもの、と答えたのは私の上司だった。

高校を卒業するまで子ども時代の惨めで恥ずかしい思い出を引きずっていた私が、やっとその思い出を笑えるようになった。今度は思春期の自分がどれほど自分勝手で世間知らずであったかに気づいて顔から火が出る思いがした・・・5年10年周期で恥の克服と新たなる恥の発見を繰り返している。今の私の姿も、未来の私は「何もわかっちゃいない未熟者」として恥じるのでしょうね、と私が言ったとき、還暦に近かった上司が言ったのだ。人生は恥の連続だ、と。

放置されたウェブサイトがある。10年前に作ったものだ。嬉々として偉そうなことを書いていた昔の自分に再会するのは本当に恥ずかしい。けれども10年前にも自分は在ったのだ。ペンペン草が生 えて廃墟と化したウェブサイトだから、ホスト側が削除するのも時間の問題だろう。けれども自分から進んで破壊する気にはなれない。未熟で常識知らずで配慮の欠けた自分であっても、今の自分の一部なのだ。

子どもの頃から音楽ユニットの解散が大嫌いだった。「音楽的方向性の違い」という判で押したようなコメントを出して次々と脱退し解散していく彼らを見ながら、なぜずっと仲良くできないのか心底疑問に思っていた。インタビューで以前とは矛盾したことを言う有名人を軽蔑していた。前に言ったことを忘れて嘘が露呈したのだと信じていた。

他人様に比べて自己の確立がずいぶん遅れていた私も、やっと「方向性の違いが生まれる」体験や、「前とは言ってることが違う」言動をするようになった。人間が根底から別人のように変わることはそうそうない。けれども、人は変わっていくのだ。家の基礎は変わらずとも、内装の趣味や、部屋の使い方や、庭の様子が変わっていくように。

私という人間のベースは変わらずとも興味の対象や、時間の使い方や、キャリアの目標は徐々に変化していくのだ。当時は洒落ていると思ったファッションスタイル が今は記憶から抹殺してしまいたいほどに恥ずかしいように、他人にとっては他愛のない「昔の私」も、今の自分にとっては耐え難い。・・・ようやく、成長する痛みが恥なのだ、と思うに至った。

音楽やビジネスの方向が変わるのも、過去のインタビューと異なった回答をするのも当然、と思えるようになった。自分を中心に世界が回っているティーンエイジャーにも、若気の至りで浅はかな選択をしがちな若僧にも、非現実な夢を語る若者にも、以前よりはずいぶん寛容になった。年を取るのも悪くはないと思うのはそういう時だ。
自分のことしか頭になく礼儀にも欠けた過去の若い私。呆れながらも赦してくれた、内心笑いながらも受け入れてくれた、たくさんのまわりの大人達 。私はありがとうございました、と深く頭を下げたい。

中島らもの著書『愛をひっかけるための釘』にアメリカのネイティブ・アメリカンのホピ族の話がある。

彼らの言語体系のなかには、この過去・現在・未来に該当する存在しないのだ。彼らにとっての世界は(既に)開示されたもの(これから)開示されるもの の二つの在り様しかない。過去と現在の事象は区別されずに「開示されたもの」と言う言い方でひとくくりにされる。未来に起こることと、目に見えない心のなかで起こることは、「開示する(される)もの」と呼ばれる。

つまり彼らにとって、世界とはすでに時間を超越して「在る」もの、たとえていえば、すでに「書かれてある本」「語られるべき物語」のようなものなのかもしれない。世界は、すでに開 かれて読まれた頁とこれから開かれて読まれる頁の二種類にわかれるが、本そのものはすでに在るわけである。

言語学者や哲学者は、ホピの観念を「未だあらざるもの(希望されているもの)」と「すでに在るもの(希望されなくなったもの=実現したもの)」、あるいは「我々の感覚でつかめるはっきりしたもの(manifest)」と「実感できない未来や精神的なもの(Unmanifest)」と区別するらしい。私は、中島らも氏の「開示されたもの」と「開示されるもの」という表現が一等好きだ。ただし、私にとっては目に見えない心のなかで起こることも、頭の中に閃くことも「開示されたもの」である。

時間に沿わない世界観。自分で獲得し開示された事実と、獲得できてない事象の二つに裏打ちされた世界観。自分で手に入れた事実には、たとえば空腹という人類すべてに共通する事実と、宇宙飛行という特異なチャンスを得た個人にしか与えられない事実がある。そして、同じように与えられた機会から何かを掴んだ人間だけに開示される事実がある。

人は徐々に成長して ゆく。何かが開示されるたびに成長する。誰も「世界の本」を通読することはできない。世界の本は完結してしまったストーリーなのか、編集は可能なのか、第二巻はあるのか、それは我々には知り得ないことである。しかし新しいページを開くたびに、人間は経験を積み、知識を蓄え、恥をかきつつ修正を加えていく。 既に読んだページに戻って復習し、新しい事実を発見することもある。そしてまた勇気を出して次のページを開いてゆくのだ。

私は「世界の本」をずいぶんと長いこと読んでいるが、ページをまとめて飛ばしたり、読んでいてもすっかり忘れていることが多い。新しい何事かを示し、忘れたことを思い出させ、次のページをめくる元気を与えてくれるものを”Revealers, Reminders, Refresher”としてブログに綴っていこうと思う。

はじめに への5件のフィードバック

  1. mark boivin より:

    what does 人は徐々に成長してゆく。何かが開示されるたびに成長する。誰も「世界の本」を通読することはできない。世界の本は完結してしまったストーリーなのか、編集は可能なのか、第二巻はあるのか、それは我々には知り得ないことである。しかし新しいページを開くたびに、人間は経験を積み、知識を蓄え、恥をかきつつ修正を加えていく。既に読んだページに戻って復習し、新しい事実を発見することもある。そしてまた勇気を出して次のページを開いてゆくのだ。mean?

  2. mark boivin より:

    im am an american!!!!!!!!!

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